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おっさん 再び鉄馬にまたがる


これらのページは幅1024ピクセルに最適化してある。  2007.1.6

中学生の頃。そう,おっさんにも中学生だったことがあるのだ。友達と自転車に凝り,手持ちのふつーのスポーツ自転車を分解して,別のパーツを付けたりして喜んだもんだ。当時の少ない小遣いからどうやって金を捻出したのか,恐らくお年玉なんかを充てたのだろう,やがてそれでは満たされず,ロードレーサーを組み立てるに至ったのだ。


当時は,国産のサンツアーやシマノといったメーカーが主流で,外国ものだとカンパニョロが最高峰だった。カンパは桁外れに高額で,中坊の俺達には眺めるだけの代物だった。他にもフィアメやらゼウスやらあったかなぁ。いまではもう会社名も覚えちゃいないが,クイックレリーズのハブに感動したもんだ。


実際のところレースよりもメカいじりに興味があったのだろう。たまには山道などを走りに行ったし,一度だが,袋井にあったヤマハのテストコースでの60km程のロードレースに出たことがある。周りは国体級の選手が居たりして,時速70kmで数分走れた俺達であったが,鼻っから問題外の更に外であった。彼らは最初から最後までそのペースで走れるほどのツワモノだったのだ。


ロードレースというものは,チームで出場して先頭を行く風避けマンが交互に入れ替わることで疲労を抑えるシステムがないと勝てないのだとこの時わかった。尤も,わかろうがわかるまいが,俺たちのレベルには関係のない話だったが。


サイクリングはそこそこ行った。日帰りや野宿など,若かったなぁ。元気だったもの。一晩寝れば疲れは取れるし。その頃はバイクに乗ろうとは思わなかった。やっとここからバイクの話だ。


高校に入るとバイク免許を取り,自転車と平行して乗るようになった。初めは親父が乗っていたホンダのモンキーやスズキのバンバン50で遊んでいたが,やがて自転車仲間とは別の友達からホンダSL90を借りて暫く乗ることになった。そのうち,その友達の親がバイク禁止令を出したということで,タダで譲ってもらった。大きな車体に90ccの4ストエンジンは流石にパワー不足だったが,初心者の俺には扱い易く結構気に入っていた。


このバイクは大学を卒業するまで実家にあったが,可愛そうなことに,あっただけで見向きをされることもなく,やがて朽ち果ててしまった。合掌。初めてキップを切られたのもこのバイクであった。その友人にヘルメットをもらいに行くのに,当然ノーヘルで警察署の前を走っていたら,運悪くパトカーが出てきて御用。この頃だよな,確かノーヘルに罰則が出来たのは。


高校時代にはヤマハのミニトレ50も借りて暫く乗っていたことがある。カストロールオイルの臭いが好きで,よく入れたもんだ。ラジコンエンジン用のニトロプロパンとニトロメタンを含んだアルコールをガソリンに混ぜて入れてみたりもした。別にパワーアップとかが目的ではなく,どうなるかやってみただけなのだが。調子は悪くはならなかったなぁ。他人のバイクなのにねぇ...でも面白いバイクだった。


あとはヤマハのHT90もちょっと借りて乗っていた。そうなのだ。みんな借り物ばっかりだったのだ。このHTは,好き者の友達がレーシング(モトクロス)ピストンキットを入れており,むっちゃんこピーキーで,ちょうど昔のターボ四輪車のようだった。4〜6千回転位まではモソォ〜と加速し,その後一気に1万2千回転位まで吹き上がる。SL90に慣れていた俺は,同じ排気量のこのHT改の加速にアドレナリンが湧き出るのを実感した。ただ,調子にのって,二人乗りで吹かしまくって走っているうち,ピストンヘッドが抜けて走行不能になった。その後どうなったかは定かではない。無責任だ,俺。


で,今度はホンダTL125を手に入れる。1973年だから,発売されたばかりだ。当時は「トライアル」という言葉などを知る人は殆どおらず,俺も街のバイク屋でもらったカタログを見て初めてトライアルの何たるかを知ったのであった。あのカタログは良く出来ていた。壁に貼って眺めていたのを覚えている。今でも法外な値段でオークションに出ているのを見かけることもある。


バイアルスはその小ぶりでスマートなフォルム,カマキリの触覚のように取り回されたアクセルワイヤー,それにタンクキャップのブリーザーパイプなどが印象的でカッコ良かった。なんといってもタンクの模様も良かった。イーハートーブを好きになれない理由はタンクのマーキングなんだろうな。


ホンダでは当時はトライアルのことをバイアルスと称していたようだ。また,トライアルは「トライアルス」と言うのが当時の競技名だった。当時の俺はトライアルごっこをやることもなく,殆どがオンロード走行であった。ごくたまに獣道を走ることもあった。走るというよりひきずっていたという方が正しい。そのフォルム以外にも,柔らかいリアサスがなんとも絶妙で好きだった。柔らかすぎるという声も多いだろうが,使いようである。


また,最もフィーリングが合ったのは,エンジン特性と排気音だろうか。わずか8馬力のエンジンは数字では非力であるが,実際に回すと粘りがありかつピックアップ(レスポンス)が良く,スムーズにパワーを生み出してくれる。当然トライアル志向であるし,元々が一人乗りなのでそれにぴったりのセッティングであったのだろうが,その辺りが俺にもフィットしたのだろう。


最も好きだったのは,あの「オムスビマフラー」の音だ。決してうるさいという音質ではないし,音量でもなかったが,短銃のような乾いたパンパンというような音がとても気に入っていた。とりわけ巡航時にスロットルを閉じて減速する際の音が最高だった。


ここまでが田舎で暮らしていた高校生までのバイク経歴ということになる。写真は一切ない。この後,上京後には幾分バイクがらみの写真を撮っていたので,それらは左のページから覗いてみてちょうだい。