中南米の諸国の旅 序章







初めて放浪の旅に出たのは保育園の時だった。悪友と連れ立っ

て保育園をサボり,一日中街中を歩き廻っていたっけ。今思えば,

この頃から既にアウトサイダーだったのだと我ながら感心する。



俺が生まれ育っ

たこの町は,小さ

な漁師町だが,昭

和の初期から戦

後にかけては好

況だった漁業の

お陰で,呑み屋

や赤線といった歓楽街まであるところだったらしい。今ではおっ

さんの俺も流石に太平洋戦争までは知らないが。









小学校低学年の頃,近所の年上の悪ガキと,

親に無断で一山越えたところまで出掛けて

いった。う〜ん,ろくな者じゃないなぁ。成れの

果てが今かぁ。



が,それはそれで悪くはないと思いつつ,今を

生きているのだが。人生〜いろいろぉ〜♪





この頃からすでに「兼高かおる世界の旅」など

を見て,将来は外国を旅して廻るのだと勝手に

決めていた。













高学年になる頃には独り汽車に乗り,200km以上離れたところまで

一日掛かりの旅に出ていた。中学・高校時代には大阪万博や北海道

や東京へ,自転車・バイク・列車にヒッチハイクと,様々な交通手段

で旅した。



高校を出る頃,「さすらいのライダーブロンソン」というテレビ番組が

あって,痛く感銘を受けた。それが成れの果ての根源であったのか

も知れない。






行き先を中南米にしたのは,当時はまだ殆ど解明が進んでいなかった

マヤ文明に強い興味があったことと,国の数が沢山あること,ブラジル

を除けばひとつの言葉で間に合い,長い日数滞在できる物価の安さな

どが理由である。
















大学ではスペイン語を第三外国語で選択したが

第三なんていう授業は当然出るはずもなく,


日本を発つ時に知っていたスペイン語と言えば「グラシァス」一語。




大学ではドイツ語を専攻し,第二外国語は英語ということ

だったので,そこは若気のなんとかで,「行きゃぁなんとか

ならぁな」とばかりに,辞書一冊だけを持って,なんの躊躇

もなく計画は実行に移って行った。タコスやトルティーヤと

いうものさえ知らなかったのだが。船便で送ったバイクの後

を追い,7日遅れで俺は初めての飛行機に乗った。


2007.1.10全面改装開始




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