メキシコ



メキシコと聞いて思い浮かぶものは?サボテン・タコス・プロレス・アカプルコ・アステカ・ソンブレロ。こんなようなものだろうか。貧乏な国・陽気でアバウトな国民性とうイメージもある。




最初の陸路での国境越えだ。サンディエゴからティファナへの西海岸で

の一般的なルートだ。サンディエゴ側には日本の高速料金所のような

ブースが幾つか並んでいる。近くには車の保険屋と両替屋が何軒が

建っていた。アメリカ人旅行者用の短期の保険だ。




俺は100ドル分

のトラベラーズ

チェックを換金

してもらう。勿論

公定歩合プラス

手数料である。


ブースの入管職員がほんの簡単なパスポートチェックの後,出国

印を押してもらい,出国完了となる。当然のことではあるが,入国

に比べ出国手続きは簡単である。












暫く進むと金額を書いたダンボールを道端で挙げている何人かの

人影が目に入った。換金の勧誘のようだ。アメリカ人観光客が使

い残したペソをドルに換金したり,ドル預金をしたいメキシコ人商

店主などが公定レートより高くドルを買う。



















当時の中南米諸国では,米ドルへの現地通貨の換金は殆ど不可能であったからだ。そこで,メルカード・ネグロ

(=ブラック・マーケット),すなわち「金融闇市(闇レート)」が半ば公認状態で存在しているのだ。当時のペソの

場合,10倍程の差があった。だから,日本人やアメリカ人の観光客にとっては物価が格段に安く感じられるが,

長期滞在の場合,現地の物価感覚に馴染んで来るので,安いという安易な感覚は薄らいでいく。そして本来の

その国での生活感覚が生まれてくる。この瞬間,観光客が滞在者となる。








いかにも国境という雰囲気のあるアメリカ国境

から出国した後,当然メキシコ側の入管を目指

していた俺の目にはそれらしきものは見つから

なかった。実はそんなものはメキシコ側にはな

かったのだから当然だ。


気付くと既に俺はティファナの街のど真ん中に

居た。街並みの様相はアメリカとは全く異質で,

一気に100年前にタイムスリップしたかのような不思議さだ。





メキシコの入り口の町ということで観光客向けの

メキシコらしさの演出もあるのだろう。特にメキシ

コらしい店をみつけ昼食をとることにする。


タコスとコークを注文し,地図をみながら行き先を

考える。コーラの瓶は保証金がコーラの数倍に当

たるほど高価なので,ビニール袋に移し変えて売っ

ている。タバコも一本単位のばら売りもある。












当時,オフロードバイク好きの日本人の間では「バハカリフォル

ニア耐久ラリー」が静かなブームになっていた。ホンダのXL

250に馬鹿でかいタンクを載せた限定バージョンの販売も行わ

れていた。記憶が定かではないが,確かヤマハのXT250の

ビッグタンクバージョンもあったような気がする。

















バハとは北アメリカ大陸の西海岸に南北に長く

伸びるカリフォルニア半島を指すメキシコ名称

である。そこは岩が中心の砂漠地帯で,沢山

のサボテンや原始的な多肉植物が林立し,かつて太古の地球はこんな光景だったのかも知れないと思うとなぜか

嬉しくなってきた。




しかし,現実は厳しい。サボテンは痛いのだ。

タバコを吸おうと路肩にバイクを止めたが,荷

物の重みで路肩の砂利にスタンドがめり込み,

転倒。とっさに手を着いたところがちょうどサ

ボテンの上だった。



野生の動物はこの棘が抜けず,やがてその

傷が化膿して命を落すこともあると,いつだっ

たかテレビ番組で聞いたことを思い出していた。太くて長い棘も,獣の「爪」のようで見るからに危険そうであるが,

実は細くて短い綿毛のような棘には「戻り」があり,大量にささった棘はちょっとそこらでは取れない。お陰でえらい

目にあった。更には,一人ではバイクを起こせないので,荷物を一度全部降ろすことになる。これがまた手間なのだ。

タバコが旨い...。





半島を縦断する道路は岩や砂の砂漠の中を内陸

部に入っては沿岸部に出るということを繰り返し

ながら,南北に約1200kmを貫く。半島の東西を

つなぐ僅かな脇道はみなダートだ。11月半ばとい

うシーズンオフのせいか観光客は少なく,行き交

う車も殆どいない。


そんな中,アメリカナンバーの一台の車が俺を抜いていく。抜いて行くのは勝手だが,10m程離れた時と助手席の

奴が唾を窓の外に向かって吐きやがった。真珠湾の腹いせかたまたまかは知らないが,見事俺の顔面に直撃。俺

は車を止めていてもうたろかと思ったが,バイクが追いつかない。そう,中南米の旅には250ccというのは余りにも

非力なのであった。お陰でいてまわれんで良かったかも...。









夕方近くなって来たが,町がないのでメキシコ

初日の宿は海岸べりでキャンプをすることにす

る。ちょうどキャンプ場があったので入ってみ

ると,シーズンオフのせいか,料金徴収用の

ほったて小屋はあるが管理人がいない。儲け

た,いやいや,まぁ居ないんだから仕方ないな

と勝手にテントを張って夕飯を作っていると,

どこからか現地の男がやってきてここは有料

だから金を払えという。勿論,善人である俺は,なんの躊躇もなく200円程を支払う。










100円もあれば食事が出来るのに,外国人観光

客と相手なので高い。水道やトイレは勿論,電気

などあろうはずもない。








椰子の木陰と砂の地面しかないのにこんなに取るのか,とは微塵も思わなかった。ことにしておこう。自宅にいるの

と同じくらい快適な,偉大なる21世紀の我が日本国のキャンプ場よりは何故かましな気はするが。


























半島の内陸部を十数kmも離れて海岸部に入ると景色は一転し,様々な花やハチドリがあちこちに見られる。サソリを

見つけた時には,「穢れなき悪戯」という名作映画を思い出してしまった。







トレールバイクのタンクはさほど容量が多くはな

い。バハではガソリンスタンド,というか,町自体

がまばらで,更にはスタンドがあってもガソリンが

売り切れという事態さえある。事実,俺も遭遇した。












路端でキャンプをしていた時にたまたま出会ったアメリカ人ライダーの

マークもガソリンが心細くなり,一緒にガソリンを求めて尋ねまわったがどうし

てもない。どのように探し当てたのか,マークがたまたま近くにあった草飛行場でよう

やく軽飛行機用の130オクタンのガソリンを。数リットルずつ分けてもらうことが出来た。

(写真は国境で別れたカナダ人ベン)

この夜,テントを張ってから,二人で調理用の薪を探しにブッシュを歩く。ガソリンコンロも持っているが,貴重な状況なのだ。突然,マークが叫びながら走り出した。

「火事だ!俺のテントが燃えてる!」

驚いて振り返ると,彼のテントのの内側が光光としたオレンジに染まっている。ロウソクでも点けっぱなしにしてたのだろう。幸い,テントには燃え移らなかったようだ。

薪を探すといっても,砂漠やその周辺には樹木は殆ど生えておらず,あっても膝の高さ程度のイバラのような低木のみだ。燃やせるような枯れ木はない。そこで,放牧らしき羊の,よく乾いた糞を拾って燃料にする。日本という国はよくよく恵まれているのだと,このとき悟った。









バハ南端にカーボ・サン・ルーカスという小さな

港町がある。小さなホテルが何軒かあり,長期

休暇やリタイアした老夫婦などのアメリカ人観光

客が多い。もっとも,小金持ちはキャンピング

カーやヨットでやって来るせいだろうか,ホテル

の数はそれ程多くなく,静かで落ち着いている。








小奇麗なレストランでは大きなイセエビが載った

皿が500円程で食べられる。が,小奇麗ではあった

が蝿は遠慮もなく飛び回っている。それでも穏や

かに過ぎていく時間を感じながら食事をしている

と,蝿などは「一部」に過ぎなくなる。街のレス

トランで知り合った老夫婦のヨットに招待された。

宝石商をやっているという彼らのヨットは,大型

でこそなかったが,クルーザーでの夜は俺にとっ

てみればとてつもなくゴージャスだった。






XR500で休暇を過ごしに来ているマークは,

スペースシャトルの耐熱タイルの設計をし

ているらしい。彼はメキシコ本土には行かず,

この町に暫く滞在するということで,ホテルの

部屋を割安の契約を交渉しており,一部屋

を折半で借りることにした。














砂漠の半島バハに存在するオアシスのような,

いや,天国のような,と言っても,天国へは

まだ行ったことがないので口からでまかせな,

のだがカーボ・サン・ルーカスからフェリー

で本土へと渡る。見送りに来てくれたマーク

ともお別れだ。本土に渡ったらどこを訪

れようという予定がある訳ではなかった。


フェリー内で地図を広げていると,メキシコ人の青年が傍に来てなんだかんだと話しかけてくるが殆ど分からない。

これまでに夜な夜な辞書で調べて覚えたスペイン語の,確認したかった疑問点を彼に尋ね,少しすっきりした。

こうやってスペイン語を覚えていくのだが,一ヶ月もしないうちに日常のことは足りるようになっていた。









フェリーはマサトランの町の近くに到着する。

北回帰線が傍を通る町だ。



バハでもそうであったが,中南米の安ホテルで

は,水洗トイレこそあるものの水が出ないことが

殆どで,傍に水を入れたバケツが置いてあるか,

自分でバケツを持って水道まで行く。大変に優れ

た節水意識である。年中寒くないような地方で

は,シャワーが冷水しか出ないことも珍しいことではない。





メキシコシティのような大都市では流石に温水

シャワーもあるが,湯量が極めて少ない。勿論

パックツアーなどに組み込まれているようなホ

テルではそういうことはなかろうが。そのこと

に特に不満がある訳でもないので全く問題では

ないが。それよりもガソリンが安いことが有難

い。アメリカでは日本の1/4程度だったが,ここ

では更に安い。質はあまり良くはないが。





とりあえず首都のメキシコシティを目指す。メキシコシティは大都市

で,その人口は東京都を遥かに凌ぐ。また,車の排気ガス規制な

どが甘く,巨大な盆地となっている地形も災いして,大気汚染が

ひどい。光化学スモッグも頻繁に発生する。


















そんな街の中心部にあるソカロ広場は,クリス

マスを前に飾りつけが始まっていた。信仰深いカトリック国であるメキシコでは12月の最初から全国の町という町,

村という村でクリスマスのお祭騒ぎが続く。




この町にも秋葉原のような電気街があって,

当時はコーン紙やボイスコイルといったス

ピーカーの「本当のパーツ」まで売っている

のには感動した。


いわゆる観光客ではなく,旅人が集まるホテ

ルがある。それは「仲間で群れる」という類

のものではなく,情報交換の場となる。ギター

の名手やら写真家やら様々な人が様々な目的で長期間放浪していたりする。


                            ホテルのアイドルが出迎えてくれる。








メキシコシティの少し南にテポストランという小

さな村がある。1週間程首都滞在した後,この村

に下った。峠の道路脇ではサボテンののステー

キを売る屋台が一台ぽつりとあった。苦味もまく

まずくはないが,なんという程のものではなかった。









村の一方にそびえる岩山の山頂にはアステカ時代の遺跡がある。それ

がこの村唯一の見所といったところで,他にはなにもない村だ。







アステカ文明

とは今のメキ

シコを中心に

栄えた古代文

明で,メキシコシティの北にある有名なティオティワカンは

その古都だ。メキシコの各地にはアステカの遺跡が大小

を交えて沢山ある。





















テポストランは10分も歩けば村はずれに出てしまう程小さな村だ。

人口はどうだろうか,1000人も居るのだろうか。


















12月だというのに村にはブーゲンビリアが咲き乱れている。

そんなのどかな村がなんとなく気に入り2週間程を過ごした。

















サンドラは髪が綺麗なチャーミングなセニョリータ

だ。首都に住む高校生で,クリスマス休みの間,

この村に居る叔父と祖父母を訪ねて来ていた。



















俺が宿を取った小さなホテルを彼は経営してい

た。祖父母の家は少し離れたところにあったが,

大学生の姉と一緒にホテルに叔父を訪ねて来

ていたところだった。














サンドラとは片言のスペイン語で色々と話したが,

言葉以上に互いにフィーリングが合ったようだ。

彼女の祖父母の家に招待され,クリスマスを一緒

に過ごした。「外国語を早くマスターするにはガー

ルフレンドを作るのが早道だ」と,大学の教授に

言われたが,それはあながち間違いではなかった

ようだ。












一年後の話ではあるが,南米を巡って再びメ

キシコへ戻ったとき,サンドラのメキシコシティ

の家に1ヶ月程居候をさせてもらうことになる。

母堂には大変お世話になった。



3人姉妹の長女の娘はとても愛らしいが,これ

でサンドラはもう伯母さんということになる。
















そんな小さな村も,クリスマスともなると里帰

りの人々であろうか,大勢の人で賑わう。













バハから本土に渡った後,メキシコシティに登る

までの町や村でも沢山のきらびやかなコスチュー

ムで着飾ったパレードが出ていたが,盛り上がり

はこの村も負けては居ない。














メキシコでのクリスマスはちょうど日本の盆踊

りのようなもので,村の広場で青年団みたいな

連中が仕切って,踊り広場を作る。各家庭では,

それぞれに飾りつけをし,身内や友達とささ

やかな,しかし賑やかなパーティを開く。















クリスマスも過ぎると人影もまばらになり,

テポストランの村にも静寂が戻る。















再会の堅い約束を交わし,サンドラも自宅へと帰っていった。













俺も南に向けて進もう。













1年後にサンドラと再会した時,残念なことに

             祖父は神に召されてしまっていた。合掌。

















メキシコシティもテポストランも高地に位置するが,高地を暫く

南下した後,一気に海岸地帯まで下る。





















無味乾燥の冷たい空気がある地点を境に,不意

に,密度の濃い湿った空気へと変わる。なんの

香りか心地良い香りと共に空気が肺いっぱいに

広がり,肺胞のひと房ひと房に染み渡る。



これが学校で習った熱帯の気候というものなのか。












また海岸部に戻ってきた。メキシコからグアテ

マラに入国するにあたり,出国前に通貨を交換

することにするが,グアテマラはメルカード・

ネグロでも交換レートはさほどよくはなく,対

米ドルでも1.2倍程度だ。ドルもメキシコペソも

換金出来たがペソはあまり歓迎されなかった。

当時のメキシコペソはそれ程弱かった。









国境への幹線道路は舗装されていて,交通量少

なく快適だ。スピードを上げる程,体に当たる

熱帯の風は体を乾燥させていく。これ程の暑さ

は日本では経験がない。ココヤシやマンゴを

求め休憩した場所で水をもらい,Tシャツの

上の上着をどっぷりと水につけ,それを着て

もしないうちにカラカラに乾いてしまう。













道端には牛のシャレコウベが木の枝に掲げら

れていた。









ーEND−