アメリカ



東京からアメリカのLAにバイクを船便で送る。「Los Angeles」とは,スペイン語で「天使たち」という意味だが,アメリカ合衆国の中西部や南部の多くの町にスペイン語の名前が付けられている。

バイクの輸出に際しては,幸いにも大変親切な乙仲の人にめぐり合えた。この旅に興味を持ってくれたようで,「うちで木枠梱包から輸出手続きやコンテナ手配まで全部やるからまかせて。」と言われた。

後日,BLカードを受け取った。BLとは「Bill of Landing」で「荷受票」のことだ。おかげ様で,格安な上になんの苦労もなくバイク輸出作業が完了し大変感謝している。横浜−LA間の輸送に掛かる日数はわずか5日程というのは意外だった。

また,海外にバイクを無税で持ち込む際には,基本的に「カルネ=一時通関許可証」というのが必要なのだが,後で分かったことだが,陸路で国境越えする場合には殆ど不要だった。というより,殆どの税関員がカルネの存在すら知らない。

カルネどころか,南米の田舎の国境だと日本人をみたことがない者もいる。「日本は中国のどこにあるんだ」と尋ねられ,俺は困った。想えば遠くへ来たもんだ。




LA初日の滞在場所を決めていなかった。機内で書かされた入国審査の書類には,出発前に友人に聞いてあっ た友人の知り合いの住所を書いておいた。勿論,見ず知らずの人である。

ちょうど,たまたま飛行機で席が隣だった同い年位の奴と仲良くなり,彼が予約しているダウンタウンのモーテルに空きがあるというので転がり込むことにした。当時は1ドル280円とかなり円安で,一泊が20ドル程と少々難ありだった。

自炊施設のあるモーテルなので,近くのスーパーに買い物に行く。会員制のスーパーやプラスタックス(外税)というシステムに馴染みがない俺には新鮮だ。キャンプ用のナイフも許可がないと売れないと言われた。




なるべく速くアメリカを出たかったので,翌日早速,ロングビーチの船会社に電話をすると,祭日などで連休が 続くので荷渡し出来るのは5日後だと言われた。折角タイミングを図って日本を出たのに,祭日までは頭になかった。待つしかないか。

だが。高いモーテルには長くは居られないので,2泊程した後,彼と別れ,バスでロングビーチのユースホステルに移動する。

路線バスが既にオートマッチクミッションになっているのには感心した。バスというのはどの地でも路線が複雑で,東京や大阪でも乗るのが大変だが,この運転手は親切に面倒を見てくれた。

ユースホステルには国籍・性別・年齢を問わず,沢山旅人が泊まっていて賑やかである。アメリカとの習慣の違いも身をもって知った。

西洋式のフロは,バスとトイレが同じ部屋にあり,ビニルカーテン一枚で仕切られているだけだ。どうしても小便を我慢できない状態だった俺は,誰かがシャワーを浴びていたが,かまわずに用を足した。当然のごとく奴は,仲間に向かって「クレージージャップ」と嘲笑を浴びせ掛けて来た。悪いのは俺じゃない。フロの作りさ。中高生位の年頃は,どこの国でもクソガキなんだとこのとき俺は悟った。




ドイツから来たという同年代の男が,アメリカを廻るためにボロ車を買い込んできたが,ドアが1枚ないので解体屋で調達し取り付けていた。車検のないアメリカでは色んな車が走っている。まさに自由の国だ,と純朴な俺は思った。


日本も車検などという悪習は一刻も早く廃止すべきだとその時に思い,今も思っているが,なくなる気配は一向にない。物事は思うだけでは実現しないものだとこの時悟った。

また,車検制度とは,自動車税を取りっぱぐれない為のお上の悪知恵であるが,そのお陰で修理屋という生業としていられるのだということをへたくそな修理屋連中は自覚しているのだろうか。勿論しているよなぁ。











あまり興味はなかったのが,荷受を待つ間,特にすることもないので彼らとダウンタウンやビーチに出掛けたり,ディズニーランドに出掛けたりと時間を潰す。

















ディズニーランドで見かけた小さな女の子の食事姿にアメリカの本質を見たような気がする。




サンタモニカの海岸と言えばジョン&パンチをイメージしていた俺は,ビーチにはラジカセ担いだポップな黒人のお兄ちゃんやハイレグのお姉ちゃん達が溢れているんだろうと期待していたが,人っ子一人居やしない。

通りの店は全部閉まり,閑散とした空間に重い雲が垂れ下がっているだけだ。

当たり前だよな,真冬の海水浴場に何を期待する?年中やっているテレビドラマに出てくるビーチ好きなヤンキーギャル達は,実は,冬場には海岸には居ないのだということを,このとき初めて悟った。

アメリカという国には興味がない上に物価が高いので,なるべく早く出国したいが,バイクを受け取 れないからにはしょうがない。こんな調子で,ただ,時間の経つのを待った。




住所を頼りに路線バスに乗り継ぎ,なんとか港の船会社にたどり着いた。

BLカードと引き換えにバイクを受けとるが,船会社での荷受手続きはすんなりと終わったものの,次の税関で書類が書けない。アメリカではカルネだけでなく別の書類も必要らしい。

乙中を通さないと日本語でも難しい通関手続きの書類など,俺の知識と英語力で書けるはずもなく,初見の単語だらけの数枚の書類を前に俺は固まった。




税関窓口で固まっていると税関員二人が話しかけてきた。一人は何度も繰り返して,英語で書類の書き方を説明してくれるが,要領を得ない俺に,やがて諦め顔になる。そんな様子を見かねたもう一人が世間話を始める。こんなテンパッテる時になんやねんと思いながらも世間話に付き合う。

「お前は幾つだ,自分にも同じ位の子供がいるんだ。若いうちに旅をするのはいいことだ。それでどこまで行くんだ,何にか特別な目的でもあるのか」と質問が続く。少し話した後,「書類はこっちで書いておくから行っていいぞ。気をつけてな」と,開放してくれた。もう一人は,「いいのかよ」と漏らしていたが,結局二人は笑顔で見送ってくれた。

下手に見栄を張ったり,知ったかぶりをするより,ありのままでいる方が道は開けるものだと,このとき俺は悟った。




ようやくバイクを受け取り,とりあえずユースホステルに戻った。これでアメリカとおさらば出来る。これまで出逢ったアメリカ人はすべて良い人だった。それでも,俺は出国出来ることが何よりも嬉しかった。


帰り道の初めての右側通行には,正直ちょっと手こずった。アメリカでは信号のある交差点での右折は,通常は安全確認のみで,信号に関わらず,進行してよい。これはいいのだが,大きな交差点では曲がった後に,逆車線に入り込みそうになる。




翌日,インペリアルビーチのユースホステルに移動した。これからバハに下るというカナダ人の二人組みライダー,ボブとベンにそこで出合い,一緒に行こうということになった。一方のバイクが調子が悪く,ダウンタウンのバイク屋に行くというので付き合った。ディズニーランドに行くよりも,面白いのは言うまでもない。

翌日,国境に向かい3台で走り出したが,余りにも重い荷物に慣れていなかった俺は,路地で停車したときに転倒,脇に駐車してあった高級車に倒れ掛かった。へこんではいなかったが,裁判好きのアメリカ人と拘わりを持つのは御免だ。




御免なのではあるのだが,荷物が重く,引き起こせない。モタモタしているとボブが「大丈夫だったか?何やってんだよ,早く逃げろ」と手を貸してくれ,なんとか逃げだした。カナダ人もいい奴だった。



アメ車はことのほか硬かった。アメ車とは丈夫なもんだとこのとき俺は悟った。ようやく市街地を抜け,フリーウェイに乗る。片側6車線も7車線もある道路に感動した。アメ車がデカイ理由も悟った。が,非力な250ccバイクには辛い道だ。

遠く左手には雪をかぶったシェラネバダの山々が見えていた。





快適なフリーウェイを降りた。暫く走り,RV(recreation vehicle)と呼ばれる自動車用のキャンプ地でベン達と一緒にキャンプだ。辺りの風景は,既にメキシコ風の砂漠の様相を呈している。



彼等はメキシコまでは下らないようだが,海岸の傍のキャンプ地にはアメリカ人の家族連れも少なくない。


俺達は,数人の若い者同士で火を囲んで遅くまで話ていたが,夜も深まってくると,ヒッピー風のヤンキーギャルと仲良くなったらしいボブは,細いのを吸ったりするうちに,彼女のテントに消えて行った。真面目そうなベンは,ボブの誘いを断っている。その後ボブの顔を見たのは翌朝だった。



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