アルゼンチン1  フィッツロイの山々

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今回の写真はアルゼンチン南部のもの。1983年3月後半。どの辺りかと言うと,下の地図の辺り。



どちらかというと観光地だが,当時は観光客も少なく,特に初冬のこの時期には人は殆ど居ない。フィッツロイ(現在は「チャルテン」と現地語に改名されている)は岩山登山の地で,交通の便が殆どないので,一般の観光客は元々少ない。

フィッツロイとカラファテにはそれぞれ3泊した。




↑フィッツロイの山々の中遠景。一番奥がフィッツロイ。氷河期の頃には今見られる万年雪も氷河だったのだろう。手前の川原のようなところはきっと氷河の通り道だったところに違いない。右奥の山陰に下の写真の尖ったフィッツロイの頂がある。




↑フィッツロイの岩山。岩登り家には世界的に有名な山。わざわざ地球の真裏にある日本からも,こんなところまで岩を登る為だけにやって来るのだから人間っていうのは面白い。公園のロッジ(この時期は閉鎖中)のロビーの壁には,日本の登山隊の寄せ書きが貼ってあった。




↑山頂付近は尖った岩場なので,雪は積もらない。落ちた雪はすべてフィッツロイの麓に貯まり,万年雪となる。当然ながら,素人にはこの雪渓を歩くことは危険で不可能だ。




同じところでキャンプをしていたヨーロッパ人3人が万年雪を触るのだと冷たい川を渡って行った。実は俺は川を渡るのが嫌で,ここでやめたのだった。




旧式のテントで3泊程した。その後,食料がなくなったので,移動することにした。堂々たる岩山の光景は今でも鮮明に記憶に留まっている。岩山好きの変わり者たちの気持ちもわからないでもない。

フライ(テントの露除け)代わりに使ったレスキューシートが夜の間中,カサカサと音を立てうるさく寝られないので,翌日は外してしまった。




ここで一緒に過ごしたアルゼンチン人の旅人。日本人の俺が米を炊くのと同様に,彼はパン生地をこねていた。電気も水道もトイレもない。これをキャンプと言う。水は氷河の溶けた水。すぐ隣のチリでは,ワインを良く飲む。ここでもよく飲んだ。

ソムリエの田崎氏など「通」に言わせると,チリやカリフォルニアのワインはワインではなく「ただの醗酵したブドウの汁」らしいが,貧乏性の俺の口にはよく合った。理屈をこねずに水代わりに飲むんなら,チリワインの方がいい。

ご飯の時には玉露よりも番茶が似合うのと同じだ。玉露のお茶漬けなんて想像しただけで気色悪い。




フィッツロイから少し南に下ったカラファテという町の近くにある氷河。フィッツロイとは違って,当時も観光地だったが,やはりそれ程の客は居ない。

飛行機でないと来られないからだろう。確か定期バスなどはなかったと思う。もう初冬だったので,時期的なものもあったのだろう。




現在では日本でも有名になった氷河で,観光客も少なくないようだ。いまでも成長(移動)している世界唯一の氷河で,年に数m移動するし,暖かい時期には,先端の氷が湖に崩落する。この時も小規模な崩落はしょっちゅう起こっていた。近年の温暖化で成長は止まったのかな。




氷壁の高さは20m位の崖っぷちだ。以前テレビで,大崩落の波にさらわれる観光客の映像が放送されていたのを見たことがある。温暖化が進む今では更に崩落が大きくなっているかも知れない。年に何人か波にさらわれて死ぬらしい。




フィッツロイやモレノ周辺の岩場には高山植物なのか,なのか,いろんな色の実がなっていた。「カラファテ」の木にしては小さい。「なんとかベリー」みたいで綺麗だったが食べてはみなかった。



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