アルゼンチン 4  フエゴ島2 フエゴ島の路

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フエゴ島を後にしてアルゼンチン本土のパタゴニアに戻る。草原が続くアルゼンチン中央部のパンパの更に南に広がる台地がパタゴニアと呼ばれている。


往路,大陸西側の太平洋岸のチリに沿って南下した後,アンデスを越え,アルゼンチンに入った。その後南下を続け,最南端のフエゴ島のウシュアイアで折り返す。そして復路は,大陸東側の大西洋岸を北上するコースになる。




↑ ウシュアイアの町を出て,再びマゼラン海峡に向け北上する。街中以外はずっとこういう道が島でも本土でも続く。ダートではあるが,アルゼンチン南部の幹線道路は整備が行き届いているので,80〜100km/hで走れる。




最後に記念写真を撮ろうと言うことで,「やらせ写真」を撮った。撮影者は,骨折君。俺は真ん中のいい位置だけど,行く先は水たまりだらけで,さしずめ貧乏くじを引いたことになるか。





広い地平線いっぱいに,雨上がりの虹がかかっていた。何から何を守ろうというのか,道路脇には柵が果てしなく続いていた。




マゼラン海峡を隔てた本土の船着場とは違い,地の果てのフエゴ島の船着場には何もない。桟橋すらなかった。




島に向かうフェリーの活気とは正反対に,帰り道には羊たちを乗せたトラックも荷物も人影さえもない。乗船客は俺達とその愛馬たちだけだった。




この小さなフェリーに乗り込んでしまえば,ティエラ・デル・フエゴ(Tierra del fuego)ともお別れだ。





本土に渡り,少し走り始めたところでバンクする。休憩も兼ねてのんびりと修理をする。天気がよければトラブルもまた楽しみのうち。なんといっても人事だからね。こっちはのんびり写真を撮ってればいいだけだから。




↑ エスタンシア(牧場の飯場のような集落)でガウチョ(カウボーイ)達に合う。


放牧地の片隅の物置場を借り,本土に戻った最初の夜を過ごした。彼らは珍らしそうに俺達を見ていた。若いくせにフラフラとバイク旅行などをしている俺達は,誰にでも歓迎された訳ではなかった。


食料が少なくなっていたが,町ではないここでは入手は困難だ。そこで兄のアリは,ここから少し離れた軍の基地に走って行った。例の骨折君が世話になったところだ。

何時間かして,アリが帰って来た。そして少量の食べ物をもらって来たという。5人で食べるには充分な量とは言えなかった。


彼:「ほら,これはお前の分だよ。」 それでも彼はこう言いながら一部を差し出した。
俺:「ちょっとしかないんだからいいよ。」 微笑みながら言った。
彼:「何言ってる,ちょっとしかないからこそ分けるんじゃないか。」 真面目な顔で言った。そして手渡しながらいつもの笑顔に戻った。


「余分にあるから分けてやる。」 恥ずかしいことに,それが「分ける」ということだと,それまでは思っていた。


日本人の俺に対しても,彼はいつも笑顔で接してくれていた。三日三晩共に旅をすると人柄がわかるというが,彼には俺はどう映っていたのだろうか。日本の恥となっていなければいいが。




パタゴニアのある地域では,年間を通して毎日同じ方向から強風が吹きつけることで有名だ。平均風速は30m〜40m,時に50mに達する。大型台風並みだ。

吹いたり凪いだりという吹き方ではなく,絶え間なく吹きっぱなしの台風状態が毎日続く。雨は殆ど降らない。




正面から風を受けると,アクセル全開でも,俺の250ccのバイクでは60km/hしか出ない。もっと悪いのは真横から受けて走るとき。荷物の面積もあって,ちょっと油断すると一瞬で5〜6m押し飛ばされてしまい,道の端から端まで流されていってしまう。

止むのを待とうにも,決して止まないのだから走らない訳には行かない。何度も路肩に落ちそうになりながら必死で走る。だが,周りには木も構造物もなく,本当にそれが風のせいなのか実感することは出来ない。


この写真はその強風地域を外れたところなので撮ったもの。強風地域ではバイクを停めておくことも,人がまっすぐに立っていることさえも困難だ。



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