アルゼンチン 5 パタゴニアとペンギ

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パタゴニアを北上し,パタゴニアとパンパの境界域端に至る。



パタゴニアの中央部にある「リオ・ガジェゴス」という町に着いた。バイクの整備と修理の為に,1日を費やす。アリたちは鉄工所で道具を借り,得意の溶接をしている。翌日,彼らとの別れが待っていた。

共に走った2週間程の間,基本的にはスペイン語で会話をした。これは,スペイン語圏の南米を旅する者として,その地に敬意を払う意味があった。

それ以外に英語とドイツ語を混ぜても話したが,彼らは英語は苦手で,スペイン語の方がはるかに楽そうだった。俺もスペイン語が一番話し易かった。

「そのスペイン語は使い方が変だ」,「いや,地元の人がこう使ってた」などという会話が出来るくらい,話は通じていた。




旅は出逢いと別れのリフレイン。紙の上に鉛筆で書いた破線のようにつながっては途切れ,途切れてはつながる。

旅は人生そのものなのか,それとも,人生が旅なのか。などと臭いことを言ってみる。


時には人と交わり,交わる程に「個」なる自分を感じ,それでも,人と時を共にする喜びに安堵を感じ,その余韻の中で,やがて別れが訪れる。

そしてまた一人で走り出す。旅は人生。そして,人生は旅。

別れで終わるものもある。別れても残るものもある。別れてさらにつのるものもある。別れには様々な顔がある。




当時,アルゼンチンとイギリスはフォークランド諸島を巡って険悪な関係にあった。このような看板が,フォークランド対岸のこの地域にはよく見られた。店先にもステッカーが貼られていた。

看板には「マルビナス諸島はアルゼンチンのもの」と書かれている。そう,イギリス名の「フォークランド諸島」はアルゼンチン名では「マルビナス諸島」と呼ばれている。

この数年後,威厳を誇示する為に,イギリスの武力行使が行われたが,交戦の意思がなかったアルゼンチンのお陰で,大事に至らず落ち着いた。




どの町だっただろうか,覚えてはいないが,「草」モトクロスに出くわした。南米の中では,比較的経済状態の良いアルゼンチンならではだ。実はそんなに経済状態はよくない国であることはこの後実感させられる。




パタゴニアの道路では,時折センザンコウ(アルマジロ)が車にはねられて死んでいる。日本でタヌキがよく轢かれているのと同じようなものだろう。可哀想だが,よけられるスピードで走っている車はこの辺りの道路には居ない。




パタゴニアの北端に「バルデス」という半島がある。そこはマゼランペンギンの大コロニーがあることで世界的に有名だ。




ペンギンは,1羽で海に餌を取りに向かう。岩場と海藻に足を取られ転びまくる姿は,見ている分には愛らしいが,本人にとっては,「なに見てんだよぉ」 ってことだろう。




不思議なことに,一人で出かけても,帰りは必ず集団で帰って来る。みんなでヨチヨチと歩く様は更に愛らしい。




飛べない羽をばたばたと,背伸びをするようにばたつかせる。大人の男の膝より少し背が高いくらいの身長だ。





彼らの巣は,地面に掘られた穴だ。そこで抱卵する。現在は保護区として管理されているが,当時は全く自由に観察出来た。ペンギンに触ろうと思えば触れる。

ただし,抱卵期ということで,警戒心が強く,触りに行くと,「グエーグエー」という姿に似つかない声で威嚇され,つつかれる。




暖かい日差しの下,立ったままで転寝(うたたね)をしている。顔は鳥,胴体は哺乳類だよねぇ。変なの。でも可愛いの一言に尽きる。




大空を舞う鳶や鷹を見て,自分を不憫に思うことはあるのだろうか。




ここはまた,ミナミゾウアザラシの生息地でもある。近くには行かなかったが,かなりでかい。あの体でどうやって登るのか,器用に登った岸壁で,みんなでごろ寝を決め込んでいる。




ここにはこんな奴も居る。地元では「ニャンドゥー」と呼ばれていた。オーストラリアのキュウイかアフリカのダチョウのような鳥だ。多分飛べないのだろう。キャンプをした場所のテントのすぐ傍までやって来た。




ペンギン達にも別れを告げ,バルデス半島を立つ。ここから北はパンパの草原地帯だ。パタゴニアのダートの路面が,いつの頃からか舗装路に変わる。道路の周りの景色も,一面の岩場から,背の低い草が生える状態へと様子が変わる。

暑くも寒くもない気温と無風の空気に歓迎され,アクセル全開で疾駆する。



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