アルゼンチン11 イグアスの滝とウルグアイ

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40日程をベルナスコニの村で過ごした後,イグアスの滝を目指して出発した。俺でも観光地に行こうと思うことはあるんだなぁ。




100年に1度という南米での豪雨の影響で,アルゼンチン北部の低地はどこもかしこも水浸しだった。至る所で道路が冠水していて,自由に走れない場所もあった。




アルゼンチン人は親日的な人が多い。北隣の国のパラグアイも日本と親交が深いらしいが,今月(2007年4月)には身代金目的の現地邦人の誘拐が話題となってたが。




北米の「ナイアガラ」,アフリカの「ビクトリア」と並んで南米の「イグアス」は世界3大瀑布だ。特にこの時には豪雨の影響で,土色に濁った水が降り注いでいた。通常の2倍とも言われるその水量は,「迫力」を超えて「恐怖感」を与えるに十分だった。

ものすごい轟音としぶきの中でしばし放心状態で滝を見ていた。普段行ける滝の傍には到底近づけるような状況ではなかった。観光客など居ない。でも,これが本当の姿なんだと確信した。




イグアスの滝はアルゼンチンとパラグアイとブラジルの3つの国境にまたがる。いや,イグアスのまたがる3本の川が3国の国境線を形成しているというのが正しい。滝は高さは80m程度だが,その幅は4キロに及ぶ。




アルゼンチンとウルグアイをつなぐ国境の橋。当時は出来たての綺麗な橋だった。橋の向こう側がアルゼンチンになる。

国にもよるが,観光ビザで1国に滞在出来る期間は1〜3ヶ月だ。長く滞在する場合には,ビザの更新の為に一度出国することが多い。一般的には通算でも180日位が連続で滞在出来る限界のようだ。

ビザの更新の意味もあって,一度ウルグアイに出国し,翌日にまたアルゼンチンに戻った。




アルゼンチンの首都ブエノス・アイレス(「良い空気」という意味)は,ヨーロッパを思わせる(といっても俺は行ったことがないけど)小奇麗な街並みだ。民族楽器を使った音楽も,同様にヨーロッパナイズされている。

北米と違って,中南米にはほとんど黒人は居ない。日本と同じ位,黒人に出くわす可能性は低い。白人とインディオの混血のメスチソと白人が人口の殆どを占めており,特にアルゼンチンでは白人系が多い。


イグアスを出て,最初は一度ベルナスコニに戻るつもりでパンパを目指した。しかし,ブエノス・アイレスの北数百キロで,バイクの調子が急に悪くなり出し,どんどん状況がひどくなっていく。

大都市は好きではなかったのだが,仕方なくブエノス・アイレスに向かう。マイナーなメーカーであるカワサキの,さらにまたマイナーなこのKL250というバイクを確実に修理出来そうなのはここしかないと考えたからだ。

街に入る頃には既にマフラーからは真っ白な煙がモクモクと上がり,まるで煙幕状態だ。信号待ちで止まろうものなら,大げさではなく,本当に煙に包まれてバイクが見えなくなった。いわゆる「オイル上がり」という現象の極致だ。

オイル交じりの煙と,周りの冷たい視線が目にしみた。

各国のカワサキ代理店の住所は,日本を発つ時に調べてあったから,それを頼りに店を探す。恐らく,一度エンジンが止まってしまったらもう掛からないだろう。

正直なところ,かなりの不安とあせりもあったが,「まぁしゃぁないか,そのときゃまた考えよう。いい土産話だ」と,アクシデントを楽しむ気持ちの方が強かったように思う。


この旅ではひたすら走り続けるしかないのだ。行き着く場所が目的ではない。走るという行為自体が目的なのだから。


「何かを造るという行為」,言い換えれば「或る状態の中に在る」ということ。俺にとって価値があるものはそういう瞬間だ。出来上がった作品は,「完成」とした時点で,もう自分の手を離れる。だから自分にとっては価値はない。


それはもう,ただの「過去の行為」の証明でしかない。自分に対して証明が必要な生き方に意味などはない。俺にとって生きるということはそういうことじゃない。



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