アルゼンチン12 首都ブエノスアイレス

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白煙にまみれながら,手持ちの住所と地図を頼りにブエノスアイレスの広い街をウロウロと走り回った。さほど迷うこともなく,なんとかカワサキのアルゼンチン総代理店に到着した。

店は大通りから入ったところにあった。傍にはワインのデポジット(倉庫)がある。店の前で,覚悟を決めてエンジンを止めた。エンジンを止めてしまえば,恐らく二度とは掛からないとわかっていたからだ。




ブエノスアイレスでは,83年の6月終わりから7月半ば過ぎまでの3週間を過ごした。店に入ると正面にカウンターがあり,二人の若者が店員として働いていた。

この写真は,ここで世話になるようになって,数日たってからののものだが,実は向かって左の茶色のジャンパーの男は,日本人が嫌いらしく,人種差別的発言を俺に向かってボソボソとしていた。というより,ねたみというか,羨ましかっただけなんだろうな。

店員である彼らとは直接関わることはほとんどなかったし,そんな偏見を気にするような俺じゃないので,「まぁ,そんなもんだろう」で過ぎて行ったが。




こっちがいつも顔を突き合わせていた人達だ。向かって左のひげのがメカニックで,ちょっといかれてる奴。そのあごひげから「チボ(牡やぎ)」というあだ名だった。日本でいう「ヤンキー」見たいなの。いい年なんだけどね。

その隣が社長。彼には大変よくしてもらった。俺の右がチーフメカニックで,レース用のマシンのチューニングを担当している。彼は,寡黙で勤勉できっちりしていて,技術的な知識が豊かで,とても頼りになる人だった。奥さんと子供が居ると言ってたなぁ。

一番右がアルゼンチンの2輪350ccと750ccの国内チャンピオン。カワサキで走っていた。国内には敵がなく,面白くないので,翌年はヨーロッパに渡って4輪レースに転向したいと言ってた。その左の女の子は,チャンプのフィアンセだ。とても綺麗でチャーミングな女性だった。






この店に世話になり始めて2〜3日経った頃,社長が郊外にある自分の家に招待してくれた。BMWで走ること1時間ほど,広大な屋敷に着いた。

そこには,社長の奥さんや両親や兄弟も居て,ご馳走をしてくれた。この時,もっとスペイン語が話せたら,これまでの旅での出来事などもお返しに語れたのに,その点が残念だったなぁ。

ワインとアサードはアルゼンチンの食卓には欠かせない。ワインは炭酸で割って飲むのが一般的で,俺もそうやって毎日飲んでいた。テーブルの左側にある赤い頭の瓶が炭酸をジュブジュブって入れるやつ。今では日本でも見かける。




ここでも「アサード」が出てくる。兄弟が煙にまかれながら焼いてくれた。彼は子煩悩で,焼いてる合間にも,子供と芝生の上でじゃれあっていた。

窓から見える広い庭に大きな家は,いま日本で流行りの「セレブ」だな。この週末の3日間,社長宅に泊めてもらい,週明けに店まで送ってもらった。




ここにはバイクの修理をしに来た訳だ。基本的に,場所と道具を借りて自分でやるのだが,あとで書く「シリンダーヘッド」の改造などは,外注しないと出来ないので,社長とチーフメカが部品を探してくれたり,加工を頼んでくれた。

ちょっと離れた安いホテルに半月ほど連泊し,そこから電車(確か地下鉄?)で毎日店に通っていた。質の悪いガソリンとオイル,過酷な気温差と扱いで,流石の日本製のバイクもあちこちがくたびれていた。

この時とばかり,車輪のベアリングからキャブレタからミッションまでばらばらにして,出来るだけの整備をやっておく。




写真は違うけど,ホテルの傍にあるレストランで毎日夕食を食べていた。腹がどっぷり出た気のいいウエーターとも顔見知りになり,いつも同じものしか頼まないので,「いつもの?」,「うん,いつもの」って感じ。

ハーフボトルの白のハウスワインと炭酸,レタスとたまねぎのサラダにパンとハム。それらがお気に入りで値段も安く,そればかり食べてた。




こんなこともあった。チーフメカのいとこが電話会社に勤めていて,ちょうど国際電話の交換をやっているというんで,日本にタダで電話をつないでもらえるように頼んでくれた。

それでホテルの電話でいとこに電話し,親の家につないでもらった。その後,兄の家と,友人の家につないでもらおうとしたけど,なんかのトラブルで出来なかった。




バイクの修理もほぼ終了した頃,350ccクラスの国内選手権の予選があるから,見に来ないかということになり,もちろんついていくことにする。社長自らがピットに入って,ラップタイムを知らせたり,指示を出していた。

公式戦のピットに入る機会というのも滅多にあるもんじゃない。予選だからか,アルゼンチン全体のレベルが低いからかは知らないが,彼は確かにダントツで早かった。




こんな調子で3週間が過ぎて行った。バイクも北米に帰るくらいはまだ走ってくれるだろう。ここでの修理代はすべてこの社長がもってくれた。その後も旅を続けられたのは彼のお陰と言っても過言ではない。


この旅でわかったことは,人間には,「他人の夢」とその「実現」を,『ねたみ』,『うらやみ』,『妨害』しようとする者が居るということ。

そして,自分のことのように『喜び』,『託し』,そして『協力』してくれる者が居るということ。



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