アルゼンチン14 バイクの走れず

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帰国したバイク。フロントフェンダーには南米のバイク屋などでもらったシールが貼ったままだ。メキシコシティで「或る日本人」が引次ぎ,彼が半年程メキシコとグアテマラを走っていた。彼の話はまたいずれすることにする。

彼が帰国するときに横浜に送り返してくれた。本牧(ほんもく)埠頭にある税関まで引き取りに行った。メキシコからの怪しい荷物に税関のチェックは厳しかった。




旅の途中バイクは何度かの大手術を受けた。写真はアルゼンチンで行った1回目の大手術。

これは「シリンダーヘッド」というもの。その名の通り,エンジンの一番上の部分。上の写真のAの上の大きな穴の中にDの「カムシャフト」という部品が入っていてぐるぐる回る。

その「カムシャフト」の「2個あるカム(写真Dの矢印がそコブの1個)」がバルブ(弁)を押したり戻したりして,ガソリンをエンジン内に入れたり,燃えた後のガスを排気する。

このDの「カムシャフト」には「カムチェーン」がつながっていて,エンジンの下側にある「クランクシャフト」というものにつながっていて,下から引っ張られている。勿論エンジンの中なので外からは見えない。

このAはアルミ製で,Dは鋼鉄製。それらが擦れあうので,柔らかいAの部分が磨り減ってしまう。特に南米ではエンジンオイルの質が悪く,潤滑が不十分だったのだろう。

仮に日本でこうなったら,ヘッド自体を交換するのだけど,南米では関税がもの凄く高い。部品代の300%,つまり,1万円の部品なら4万円になる。「シリンダーヘッド」だと間違いなく15万円以上はするだろう。

そこで改造に掛かるわけだが,たまたま同じ症状の同じヘッドが店にあった。そっちの方が幾らか状態がいいので,それを改造することになった。勿論,無料で提供してもらった。




また,カワサキは南米では珍しく,充分な部品もない。だから皆,ホンダかヤマハを南米の旅では使った。人と一緒じゃ嫌なタチの天邪鬼な俺は,当然カワサキを選んだ。

で,日本では考えられない修理をする。写真にあるように,えぐれた部分にアルミを溶接で盛って,Bの状態にし,Cのローラーベアリングを入れた。

また,ひとつ上の写真のDの「カムシャフト」の矢印のところの山(カム)も磨り減っているのがわかると思うけど,そこも溶接で鉄を盛って減った高さを補う。磨きあげた後焼き入れをして硬さを保つ。

ベアリングを入れるとオイルプレッシャーが下がるので,カムシャフトのオイル穴を一度塞ぎ,細い穴に開け直した。


こういう工夫がメカニックの本領だ。部品を交換するだけなら誰でも出来る。こういうことが出来る修理屋は日本ではもう「絶滅危惧種」となっている。だから俺は最近の修理屋は「素人」ばかりだと嘆いている。

俺程度の知識と技術しかなくても,「道具」から作って修理してた。例えば「ねじ回し」がなければ,それから作り始め,次に部品を「作る」訳だ。それが出来なければ走れない。

日本では有り余る物のせいで,知恵や工夫がどんどん失われていく。「あれがないからこれが出来ない」とか「これはどうしたらいいの」とすぐに言う。

そんなこと「自分の頭と指で何とかせんかい」という育ち方をした世代には,いまの若者はかわいそうに思える。おっと,年寄りのぼやきになってしまった。


南米で2〜3度こういった大手術を受けながら鉄馬は走り続けた。


日本に戻ってきた彼をバラバラにして,フレームやタンクも塗り直し,エンジンもレストア(修理・修復)した。半年程して壊れたが,もう修理はせず安楽死させることにした。彼は約8万kmの寿命を全うした。

250ccのバイクで,わずか3年でこれだけ走ったバイクは多くはないだろう。人生の価値はその時間の長さとはなんの関係もない。太く短く生きた鉄馬だった。きっと彼も本望だったに違いない。



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