Constellation
 ● Constellation(Connie) コンステレーション(コニー) ●

実機について


Lockheed L-1649 SuperConstellation



Lockheed Constellation
1939年に,長距離爆撃機・輸送機(C-69)としてロッキード社で開発が始まったL-49がベースとなっている。1943年に完成したが,戦時中は量産はされず,1947年になって,ダグラスDC-6の対抗商品として,L-049の再開発が始まり,L-649(北米大陸横断航路用)とL-749(大西洋横断航路用)が,Constellation(星座)という愛称で量産が開始された。同年にはL-749がTWAやパンナムに導入され,大西洋航路に就航する。

その後胴体を延長した改良型のL-1049 スーパーコンステレーションが登場する。1950年に入ると,より強力なエンジンに換装されたL-1049Gへと進化する。主翼翼端のチップタンクを装備した機体は,主に大西洋横断機に取り付けられたオプション装備であったので,同系の機体でもチップタンクの有無はケースバイケースである。 1950年代後半には,最終型となるL-1649スターライナーが開発されたが,販売競争でDC-7に破れ,44機の製造に留まった。また,レシプロ機の時代の終焉により,それらの大型旅客機は,メーカーを問わずターボプロップ機やジェット機に置換えられ,1958年には,ロッキードでもコンステレーションは生産終了となり,ターボプロップエンジンを搭載したL-188へと移行する。 

その独特のスタイルを決定づける3枚の垂直尾翼と,流線型の胴体を持つ優美なデザインの機体は現在でも人気が高く,動態・静態で多くの機体が保存されている。垂直尾翼が3枚になった理由はTWAの格納庫の入口の高さに合うように低くした結果だと言われている。また,各翼前縁の黒い部分は防氷装置である。 全般的な性能は優れており,多数が長らくエアラインで採用され続けた。民間機は”L”,軍用機は”C”のイニシャルで呼ばれる。製造数は,1943~1958年の全製造期間の全タイプの合計で856機に及ぶ。


L-049の主な諸元
・全長:29.0m
・翼幅:37.5m
・全高: 7.2m
・空虚重量:22,900kg
・全備重量: 32,600kg
・最高速度:570km/h
・巡航速度:500km/h
・運用高度:7,800m
・航続距離:6,400km(L-1649では10,000km)
・上昇率:500m/分
・エンジン:空冷2重星型18気筒2,200馬力Duplex-Cyclone Curtiss-Wright R-3350-35×4
これは,B-29に搭載されたエンジン(R-3350-18)の同シリーズである
・856機:1943~1958の期間の全タイプ合計



TWA(Trans World Airlines):1925-2001
第1次大戦終結から間もない1925年にWestern Air Expressとしてアメリカに設立され,最盛期には190機の機体を所有し,内外の132都市を結んでいた。1930年には大陸間輸送に乗り出すため,TAT(Transcontinental Air Transport:1928年設立)と合併し,Transcontinental & Western Airとなった。拙著にも極簡単に触れているが,リンドバーグは国際旅客航路の開発にも携わっており,当時彼はTATで技術顧問を務めていた。 第2次大戦開戦の1939年になると,ハワード・ヒューズによって買収され,大戦後には国際線拡張の為に,それまでの国内線での主力であったボーイング307やダグラスDC-1~DC-3に変わって,ヒューズが設計に関わったコンステレーション(L-749A型)が導入され,それに合わせて社名がTWAに変更された。
その後のヒューズが筆頭株主の時代には,ロッキードのL-1049スーパー・コンステレーションやL-1649スターライナーなどが導入されている。Frank SinatraのLPレコードCome Fly With MeのジャケットにもTWAのコニーが背景にされていることでも有名。
1960年代半ばになると,経営方針の行き違いからヒューズが経営から離脱する。1970年代にはボーイング747などの導入も開始するが,国内線の規制緩和による価格競争激化や,国際航空機業界全体の競争激化に加え,1985年のテロにより打撃を受け,更には1996年に747の構造欠陥に起因する墜落事故を起こしたことで経営が行き詰まり,隆盛を誇ったパンナムやイースタンなどと同じ末路を踏み,2001年にはアメリカン航空に吸収合併され消滅する。




キットについて
モノグラム Monogram 1/144
1956年にモノグラム社から発売された1/144のインジェクションキットである。ミニクラフトからもキットは出ているが,客室の窓が透明パーツであるのはこのキットだけである。が,そのパーツの合いは言うまでもない状況で,よほど惚れ込んだ人以外は,1/200のダイキャストにすることをお勧めする。
ガマガエル様の凸リベットが特徴だ。タラップとスッチーが2個ずつ付属するのは楽しい。ディテールパーツは一切付属しないが,6個ある車輪の内,1個の片面だけがモールドが崩れて(薄れて)いたが,他のモールドは状態も再現性も悪くない。
デカールは,解像度が低く,網が見えていて,全体にやや黄変,一部が割れて使えなかった。


制作について  (2022.5)
凸リベットは全部削り落とし,コロコロで凹リベットを打ち直した。中央の垂直尾翼のフィレットを追加。脚と脚格納庫をディティールアップ。操縦席内部,操縦席の壁,客室の壁を制作。操縦席の窓の透明パーツは少し小さくて使えなかったので,プラ板を1枚ずつ貼り合わせた。同じく鬼門の客室の窓と胴体との隙間は瞬間を流し込んで埋めて磨いた。そのためにクレオスの電動ポリッシャーを購入した。これによってかなり効率がよくなった。また,前脚部の着陸灯,胴体背中と腹の灯火,翼端灯もクリアパーツで追加。
下の写真2枚は,箱絵をスキャンしたもので,一番右が主脚部。1956年の刻印がある。このキットは再販版なので,1956年の金型を使って1970年代に作られたものだ。これらを元にキットの素性を推して知るべし。

2箇所ある昇降ドアは内開きとした。また,赤のラインと胴体上部の文字は,デカールが使えなかったので,塗りである。他はデカール。慣れた人なら言われなくてもやると思うが,この手の機体は,機首部に錘を入れる必要がある。怠ると,尾部に爪楊枝を立てて,つっかえ棒をする羽目になる。

酷いと言えるのは透明パーツの合いくらいで,当時としてはまともな方かも知れないが,まぁ,兎に角手間が掛かるキットで,ここまでやるには,この機体に相応の思い込みがないと難しいだろう。なんとかまともに完成を迎えられ,結構気に入っている。実はこの機体は谷津遊園に展示されている期間があって,その折に見たことがあり,美しいフォルムだと感じた。このサイトには掲載していないが,昨年,1/72でも軍用機バージョンを制作しているので,細部のデータは既に収集したあったので,それが制作に踏み切る要因のひとつとなった。


Gallery 1

Gallery 2

Gallery 3

Gallery4 元キット表面・改造済みコクピット内部,作者が生まれる以前の刻印有りw

おまけ 1/72のコニーこれ以外は撮影していない(クリックで拡大)




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