FockeWulf-Fw190A8
● フォッケ・ウルフ Fw190A-8/R2  Focke Wulf Fw190A-8/R2 ●
実機について




A8/R2

試作のV1


フォッケウルフ社で開発された単座戦闘機である。1939年,試作機のFw190V1から開発が始まり,V5まで試作が重ねられた。1600馬力のBMW801C-0エンジンが搭載されたV5は,軍により40機の増加試作命令を受け,28機が生産され,A-0の制式呼称を得る。その後,1941年中に,新型のBMW801C-1エンジンを搭載したA-1が102機製造された。更にC-2エンジンが搭載されたA-2型の量産に移り,翌年1942年春にはD-2エンジンが搭載されたA-3に引き継がれた。その後もマイナーチェンジを重ね,A9型まで発展する。それぞれの型に更なる分化が見られ,型によって装備される銃火器はバラエティに富む。
A型以外にも,Fw190には,B型,C型,D型(「長っ鼻のドーラ」),F型,G型などのバリエーションが非常に多く,練習機のS型もある。中でも,Fw190A-8は1944年初めに登場し,その後ほぼ1年間の製造期間中に,各型の中で最も多い約6,600機が製造された。FW190全体では,20,000機以上が製造されている。終戦間近になって,FWシリーズは,高々度戦闘機のTa152(69機のみ製造)へと発展する。

機体の特徴として,エルロンリンケージにはワイヤーではなく,対速度可変リンクのロッドを採用することで,ダイレクトな操縦性能を提供した。また,極力機器類や操縦系統を合理化・単純化し,経験の浅いパイロットにも操縦しやすい機体になるよう配慮されていたという。また,機体強度は高く,コクピット部の防弾性能も高かった。更に,量産にも対応しやすいよう部分毎に製造できるように配慮され,製造に手間と技術が要求される3次曲面を減らすなど,設計時点で配慮されていた。ブロッグ毎の構造と,大きく開くカウリングやメンテハッチにより,前線での修理の効率が向上している。

性能評価用に日本にもA5が輸入されている。
このFW190は,派生型が多い上,研究も進み,多数の資料があるので,興味がある方は書籍やネットを参照されたい。


ここで,フォッケウルフ社について,簡単に説明する。

【メッサーシュミット社とフォッケウルフ社について】
このフォッケウルフFW190シリーズは,メッサーシュミットBf109シリーズと共に,第2次大戦のドイツ空軍機として活躍した2大戦闘機で,日本でも非常に人気がある。両社共に,第1次大戦の終戦後まもない,まだ航空機製造の規制が厳しい1923年に設立された航空機会社だ。

メッサーシュミット社の一連の機体の設計者はWilhelm Messerschmittで,1923年に彼は自身の会社”Flugzeugbau Messerschmitt” を設立する。その後,国策により1927年にバイエルン航空機製造会社 ”Die Bayerische Flugzeugwerke(=BFW)” と合併することになる。この合併の実情は,BFWが事実上解体され,メッサーシュミット社の社名がBFWに変っただけのものであり,正確には”109”が製造された時には社名はBFWなのである。従って,最も有名で,活躍したメッサーシュミットの”109”は,以前は”Me”のイニシャルで呼ばれていたが,その後,こういった事情から,いつの頃からか研究者の間で ”Bf” のイニシャルで呼ばれるようになり,現在はそちらの方が浸透している。設計者名を機体イニシャルにするなら”Me”,製造会社名を機体イニシャルにするなら”Bf”になり,どちらも正解と言えよう。

BFWは,ドイツのガソリンエンジンの父とも言えるNikolaus Ottoの息子のGustavが設立した飛行機会社のAGO (Aerowerke Gustav Otto)と,エンジンメーカーのRapp Motorenwerke社が合併し,1916年に誕生した航空機製造会社だが,翌年にはBMW(これは今のBMWの前身となる会社)となる。BMWの社名に関しては,少々込み入っているので,詳細は拙著「飛行機の発展とその裏事情 序巻」の83ページと85ページを参照いただきたい。

ちなみに,”Bf109”は1935年に量産が始まっている。その後,1938年になると,再びメッサーシュミット社として再建されたので,それ以降の機体,例えば,有名なジェット戦闘機の”262”や”163”などには,”Me”のイニシャルが使われている。


メッサーシュミット社の説明が長くなったが,本題のフォッケウルフ社は,メッサーシュミット社と同じ年に,設計技師でありパイロットでもあったHenrich Fockeを中心に設立されたブレーメン航空機製造株式会社(Bremer Flugzeugbau AG)に始まる。翌年,共同創始者でテストパイロットだったGeorg Wulfの名前加えて,フォッケ・ウルフ航空機製造株式会社(Focke-Wulf-Flugzeugbau AG)に改名され,やはり国策により,戦後低迷していたAlbatros社を1931年に吸収合併することになる。

その後,BFWの設計技師でありテストパイロットでもあったKurt Tank(ドイツ機ファンには超有名人w)がフォッケウルフ社に引き抜かれた。1932年に移籍後に最初に設計した複葉練習機のFW44(Stieglitz=色鮮やかな雀/下写真)の成功を皮切りに,タンクは,フォッケウルフ社の主任設計技師として歴史的な機体を設計していく。




【Fw190A-8/R2の諸元】
・全長:8.95m
・翼幅:10.51m
・最大重量:4,750kg
・エンジン:BMW801 D-2 空冷2重星型14気筒42L 1600~1700馬力
・武装:Rheinmetall-Borsig MG131 13mm×2, Mauser MG151/20 20mm×4
・最高速:640~650km/h
・最大高度:10,350m
・航続距離:1,000km, droptank使用時2,000km
・製造機数:1916年10月から1918年初めまでに初期型36機,後期型110機


キットについて
エデュアルド 1/48
それほど古いキットではないと思うが,主翼や胴体モナカといった大物パーツの合いや,水平尾翼の取り付けなどには大きな問題はないが,特に小さなパーツでは。縁の段差が目立つ。キットでは,パネルラインの一部にリベットが打たれている。また,フラップ以外の動翼パーツは分離型である。

制作について  (制作2022年2月)
Ewald Preiss登場機  6/JG300 1944.10

第2次大戦機では1/32は言うまでもなく,1/48くらいのサイズでもフルリベットは必須だろう。今回は図面があったので,それに合わせてコロコロで全て打った。
当初,キットのエンジンを組み始めたが,どうもパッとしないので,エンジン部,カウリング,脚部は同社のレジンパーツを使った。自社のキット用の癖に,収まりがあまり良くなかったので,切った貼ったの格闘が必要だった。オープン状態を前提にしたカウリングの出来は良いが,エッジ部は更に薄く削り込んだ。また,脚はメタルだが,軟質のホワイトメタルではなく銅を多く含む合金のようで,かなりの強度があるが,一方で,力を入れると曲げることも可能な,非常に良い材質だった。1/24のタイフーンで使った脚は,非常に柔らかく,あの大きな機体の重量を支えには少々心配だった。脚と同梱のレジン製の脚カバーのモールドは,ややオーバースケールであるとも思えるが,感じよく仕上がっている。

胴体部の大きなメンテハッチ1箇所と,ラダーのメンテハッチをラインチゼルで切り抜いて開状態にした。この部分はプラ厚が2ミリほどあり,外側からしか削れないので,時間が掛かり,かつ溝幅が広くなり,抜いたパネルが小さくなってしまった。しかし,開状態で取り付けると判らなくなるので,そのまま抜いたパネルを使った。
ハッチを開状態にするということは,内部を作る必要があるということで,世界の傑作機を参考資料としてそれなりに作る。第2次大戦機の場合,明確なイラストや明瞭な細部写真があるのでやりやすいが,第1次大戦機の場合にはこうはいかない。胴体ハッチ内部に見えるのは,シート側にある円筒形のものは増設燃料タンクで,虫の卵みたいなものは球型酸素ボンベだ。ボンベは少々オーバースケールであるがBB弾を利用した。本来,もう少し小さな鉛や鉄球が良かったかも知れない。垂直尾翼内のリブと,尾輪引き込みのメカも再現した。スプリングは,0.5mmの真鍮線を芯にして導線を巻いて作ったコイルを使った。牽引索は伸ばしランナー。

この機体は,翼下部のみがフラップとして可動する構造だ。キットは翼上下のパーツを貼り合わせる構造なので,下側のみを楽にカット出来る。このカットにもラインチゼルを使ったが,プラが薄いので溝を拡大することなく綺麗に分割できた。その後,敷設したリベットラインに合わせ,プラシートを細かく切って作ったリブを,フラップ内面に貼り付けていく。翼上面側の内面には元々リブらしからぬモールドがある。ちょっと不自然なので作り直したいところだが,開度を小さくするつもりだったので,修正せずそのままにした。この程度の開角度だと,やはり殆ど気にならない。また,いつものように,各動翼には芯に金属線を埋けてある。フラップは薄いので神経を使う。

翼下部の特徴的な長いアンテナは付属のEPであるが薄っぺらいので,ステー部に瞬間を垂らし盛って厚みを出した。リングアンテナは,洋白線を輪にしたものを取り付けた。翼の機銃とピトー管はマスターモデルの真鍮の削り出しだ。このメーカーの機銃等は再現度が高く,非常にリアルで,ワンセット千円程度と手頃で,第2次大戦機の制作には欠かせない。カウリング部の機銃はエデュアルドのレジンだが,こちらもよく出来ている。

今回はキット付属のデカールを少し改造して使った。糊がちょっと弱い感じがするが,扱いやすさは普通だ。ステンシルの文字が少し太いような気がする。また,個人的には綺麗な機体の方が好きなのではあるが,塗装後にスミイレを施し,汚しとハゲチョロを強目に入れた。第2次大戦機に関してはこういうのもたまにはいいだろう。


写真をよく見ると判るが,撮影中にスターボード側の3枚のカウルフラップの内,最後部の1枚が落ちたのに気づかず撮影を続けてしまった。また,搭乗用ステップと,頭あての下のステンシルを付け忘れている。これらは,撮影後に修正したので,6枚だけをギャラリー8に追加した。

下のサムネールをクリックすると複数の画像(1000dip幅)に飛ぶ。更に各画像をクリックすると1920dpi幅のフルサイズにジャンプする。
 ギャラリー1

 ギャラリー2

 ギャラリー3

 ギャラリー4

 ギャラリー5

 ギャラリー6

 ギャラリー7

 ギャラリー8 追加パーツ取り付け後の写真6枚


 



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