機体の構造について

ファルツD.IIIの構造と製造の様子が大変良く判る面白い写真があったの掲載しておく。まるでラジコン機を作っているようだ。




当時の機体は,鋼管の骨に布張り,木製の胴枠と骨に布張り,若しくは,木製胴枠に合板貼りがほとんどだった。機体に使われた木材の種類としては,チーク・マホガニー・トウヒ・ブナ・クルミなどがあったようだ。

例えば,フランスのニューポール(写真は「nieuport17」)は,鋼管フレームに布張りのモノコック胴体に鳴っている。一方,ドイツ機のファルツやアルバトロスは(写真は「Albatros D.I」)木製胴枠に合板プランクのセミモノコック構造であった。イギリス機の多くは鋼管フレームに布張りの機体(写真は「Sopwith T.F.2 Salamander」)だが,木製胴枠に布張り(写真は「RAF RE.8」)の機体も見られる。

いずれも,カウリング等は金属製で,エンジンマウントは金属製の場合もあるが,多くは木製だったようだ。翼は木製のリブと前後縁とスパーに布張りが一般的で,一部,胴体同様の合板によるフルプランクの機体もあった。

プロペラも木製であったが,こちらはアッシュ・マホガニー・モミ・クルミなどが使われ,素材によって単板のものと合板のものとがあった。またプロペラメーカーは多数あり,素材やプライ(積層)数やデザインも異なる。多くのメーカーでは固有のシールが貼られていて,1/32スケールでは見所のひとつとなる。ピッチは勿論固定で,直径はエンジンによって2.6〜3.0m位,形状は様々だ。殆どが2翅で,4翅もあったが,3翅は見られない。恐らくは製造技術の問題だろう。




当時の飛行場は舗装されておらず,デコボコ,水溜り,草の株などあまりよい状態ではなかった。そんな中,重要であったのが車輪のサスペンションだが,大型爆撃機以外は自転車の荷物紐のようなゴムバンドで車軸を脚に巻きつけてあっただけのものだった。




1915年にユンカースが世界初となる全金属機を製造する。社内呼称は「J.1(制式名は「E.1」):Mercedes D.II 120hpエンジン搭載,空虚重量937kg」で,試作の1機のみ生産されたが,これには0.1〜0.2mm厚の鋼板が使用されていた。波とたんのような形状のジュラルミンが使われた機体の登場は,その2年後の1917年に製造の社内呼称「J.4(制式名は「J.1」):Benz Bz.IV 200hpエンジン搭載,空虚重量1,766kg,生産数227機」を待つことになる。

1次大戦の終末から2次大戦に掛けては,複葉機の単葉化し,さらにはロータリーエンジンが固定エンジンに変わっていくに伴い,機体もジュラルミン張りの金属製へと移行していく。




アルミニュームは1886年に電解精錬法が発明されており,19世紀の末には世界各国で既に実用化されていた。アルミニューム自体は非常に柔らかい性質を有するので,商業用アルミ合金というものは,銅を微量に混ぜることで実用強度を上げている。

また,ジュラルミンという物質は,時効金属と呼ばれるもののひとつである。ここで言う「時効」とは,「急冷、冷間加工などの後、時間の経過に伴い鋼の性質(例えば硬さなど)が変化する現象」を指す。具体的には,アルミニュームをベースとして,銅,マンガン,マグネシウムを微量(4%,0.5%,0.5%)に混ぜたものに焼き入れをしたもので,実は1906年にドイツのアルフレッド・ヴィルムによって開発(偶然に発見)されていた。




ジュラルミンは,1910年代の終わり頃には航空機素材として実用化され,ユンカースが航空機に採用するに至った。1936年になると,ジュラルミンの1.5倍の強度を持つ,超々ジュラルミンが日本(住友金属工業)で開発され,ゼロ戦に採用されたことは有名であろう。

超々ジュラルミンは,ベースとなるアルミニュームに,亜鉛5.5%、マグネシウム2.5%、銅1.6%を加えた合金で, 加工硬化(金属に応力を与えると塑性変形によって硬さが増す現象)によって強度が得られる。現在でも,超々ジュラルミン(A7075)はなくてはならない航空機素材であるが,時代は進化の歩みを止めない。

最新の旅客機(2011年就航のボーイング787)にはCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics=カーボン繊維強化樹脂)が多用されおり,軽量化と経年変化(金属疲労)に有利な素材として,今後はCFRPがジュラルミンに取って変わっていくことだろう。