1次大戦機にパラシュートは装備されていたのか


という,疑問が以前からあった。キットを作っている限りでは100%無いようである。そこでパラシュートとそれにまつわる事項について調べてみた。

既に紀元850年頃にはパラシュートの原型と言われるものが使われたという記録があるらしい。1783年には,木製の枠にリンネル(リネン)張りの降下装置がフランスのルイ・セバスチャン・ルノルマン(Louis-Sebastien Lenormand)によって発明され,彼が,それをパラシュートと命名した。同じくフランス人であるアンドレ=ジャック・ガルヌラン(Andre-Jacques Garnerin)によって,典型的な形状と構造のパラシュートが制作・使用された。彼は水素気球の発明者であるジャック・アレクサンドル・セザール・シャルル(Jacques Alexandre Cesar Charles)に弟子であり,自らも1790年には熱気球を作り飛行に成功している。1797年10月22日,絹のパラシュートで,彼は900m上空に浮かぶ気球からパラシュート降下を成功させた。このパラシュートには天頂部の空気抜き孔がなく,安定性が非常に悪かったが,天文学者であったジョセフ=ジェローム・ルフランセ・ド・ラランド(Joseph-Jerome Lefrancais de Lalande)の助言で改良が施された。後には,ガルヌランの妻や姪子もパラシュート降下(これも女性としては史上初)を行っている。

と言うことで,パラシュートの歴史は思いの外古いものであるが,建物や崖から飛び降りるのではあまり意味がない。やはり空を飛ぶ(空に浮く)ものからの降下でなければ必要性はないだろう。では,最初の空飛ぶ乗り物,飛行船はどうだろうか。熱気球の歴史は更に古い時代に始まるが,動力を持って移動出来るもの,つまり飛行船の登場は1852年9月,やはりフランス人のバティスト・ジャック・アンリ・ジファール(Baptiste Jacques Henri Giffard)が史上初の飛行を行ったのが最初である。彼は3馬力の蒸気エンジンを搭載し,プロペラではなく,蒸気を噴射装置で放出することで推力を得た。また,1867年のパリ万博に続き,1878年のパリ万博でも40人乗りの水素気球を作り遊覧浮上させているが,これらには推進装置は付いていなかったようだ。



飛行船の歴史についての詳細には触れないが,1901年になるとフランスで初の硬式飛行船であるルボーディT号(Lebaudy I)が製造された。これは操縦が可能な飛行船として軍用に採用されるに至る。ちなみに日本では,和歌山県出身の山田猪三郎が自身で開発した彼の飛行船は日露戦争(1904年〜1905年)で用いられたが,1910年になると,50馬力エンジンを搭載し自由飛行が可能になった山田式1号を完成させ,1911年9月17日には,3号機で飛行船で東京上空を20kmの周回飛行している。
【Lebaudy I】



【山田猪三郎と山田式1号機】


問題のパラシュートだが,最初に軍事利用を考案したのがあのベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)であったが,軍事用の飛行船や特に偵察用の気球の場合には,攻撃を受けて墜落する場合も,飛行機のようい高速で地上に落ちるのではなく,引火し燃え上がらない場合には,徐々に落ちるので,特にパラシュートは必要なかったという説や,パラシュートを持たせるとすぐに兵士が逃げ出すと考えたフランス軍ではその装備を行わなかったという説もあるが,観測用気球からパラシュートで退避することもあったようで,明らかではない。

では,第2次大戦時の航空機には装備されていたパラシュートが装備は,第1次大戦では装備されていなかったのだろうか。答えは,「装備されていなかった」らしい。実験的には,史上初めて飛行機からの降下に成功した者として2名の名前が挙がっている。一方は,1911年の内にライトB型飛行機からのグラント・モールトン(Grant Morton)であるという説と,1912年3月1日にアメリカ陸軍のアルバート・ベリー(Albert Berry)がブノアー7型(Benoist Type XII)が最初であるという説だ。詳細が記録されている後者を史上初とするのが妥当なようだが,史上初の動力有人飛行を行ったのがライト兄弟ではなく,その前年に成功した者が居たというようなもので,事実は不明である。

【ライト社B型】


【パラシュート格納箱を取り付けたブノアー7型】と【アルバート・ベリーの着地の様子】


しかしながら,当時のパラシュートは大きく,且つ,絹やリンネルは湿気を吸って重くなるので,背負式には出来ず,更には,予め開傘させないと開かないものであった。このように理由で,1次大戦時の飛行機には搭載されなかった。


1次大戦後のパラシュート事情

飛行機からの非常脱出用に使われたのは,やはりアメリカ陸軍のパイロットが最初であった。1922年10月20日,ハロルド・R・ハリスがアービング式手動開傘式パラシュートで空中分解したローニング(Loening Aircraft Engineering Corporation)PW-2A(A.S. 64388)から生還している。機体はオハイオ州デイトンの町中に墜落し粉々になっている。

【ハロルド・ハリス】


【ローンングPW−2A】


【墜落現場】