黎明期の飛行機たち

 黎明期の飛行機たち


元々,戦記や歴史には殆ど興味がなく,登場する飛行機自体に対する設計・制作・飛行にしか殆ど興味がない。そういう状態で,長らくラジコン機を制作し飛行させたり,プラモデルを作っている。 このところようやく一番好きな航空機である第1次大戦機を作る機会が増えた。日本では第2次大戦機に関しては知識が豊富な人が山のように居るが,第1次大戦機となると多いとは言えない。どうでもいいのだが,それが日本の模型界に於いて,メーカーもモデラーも1次大戦期に殆ど興味を示さない理由のひとつだろう。

このページの設置目的は,飛行機が登場してから戦争に使われるようになるまでの歴史の自習用である。出来るだけ時系列にまとめ,かつ横軸として航空機の進化の様子と各国の関係が分かるように心掛けた。登場人物自体の説明は極力簡単に済ませている。可能な限り,ネットから写真を拾って来た。有難い時代だ。

私は,10数年前の黎明期にインターネットを利用するようになって以来,「開かれたネット上のデーター」は万人に利用されるべきリソースという見解である。よって,著作権は当然認めるものの,それらのデータの利用に料金を課したり,制限すべきではないと考えている。少なくとも自由にアクセス出来る環境に晒したデータに対して,著作権を理由に使用制限を付けることには同意出来ない。そういうものは完全に閉鎖された会員制の下で行えばよい。もし,自分が撮った写真などを他者が利用してくれるような事があるなら,忌々しきことどころか,大変名誉なことだと思っている。

(が,考え方は十人十色なので,使用している写真に問題がある場合には連絡を頂ければ対処します)



その1  「1900年から1905年頃の操縦可能な動力式有人固定翼航空機」


1700年代後半には有人気球は存在しており,滑空できるグライダーや動力移動できる飛行船も1800年代の半ばには既に登場していた。また,フランスのフェリックス・デュ・タンプル(Felix du Temple)は,1874年に4馬力のエンジンを搭載した自身の単葉機で斜面を短時間滑空したということが広く認められているそうだ。更に時代が下って1901年になると,英国で「Royal Aero Club(王立航空クラブ)」なるものが設立されていたが,主に気球や飛行船の研究をが行われていた。この年にはアメリカで,模型での内燃機関飛行機の飛行に成功している。

このように「飛行機」と言う言葉は結構曖昧で,自分としては,飛行機とは,「有人」・「動力付き」・「コントロールがなされている」・「固定翼飛行機」という定義で考えている。よって回転翼機(ヘリコプター)や滑空機(グライダー)や飛行船,また上記のようなどこに行くか成り行き任せのものは含まないことにし,深くかかわらないようにする。よって「その定義の飛行機」として確定的な証拠があるものは,やはり1903年12月のライト・フライヤーとなるのだろう。あくまでも興味の中心は第1次大戦前後の機体自体なので,記録として正しい云々はどうでも良いのだが。

1901年8月14日コネティカット州に於いて、グスタフ・、ヴァイスコッフ(Gustav Weiskopf)はエンジン付きの「No.21」という機体で,800mの距離を高度15mで飛行したという。数人の目撃者の報告によれば,ホワイトヘッド(彼は米国移住後に苗字を英語に置き換えた)は1899年頃にも約1kmを飛行しているという。1902年1月には、改良された「No.22」でロング・アイランド海峡を越える10kmの飛行に成功したとも言われているが,いずれも飛行中の写真はなく,共に公式記録とはなっていない。
(下の写真:膝に子供を乗せているのが本人で,寝転んでいる男の前にあるのがこの機体用のエンジン)




1902年になると,アメリカのギルモア(Gilmore)が,蒸気機関による固定翼機での動力飛行を行ったと本人が主張したが,この場合にも飛行中の写真などの証拠がなく,正式な記録とはなっていない。制作した複数の機体の複数の写真は残っているらしいが飛行している写真はない。写真(2号機らしい)を見る限りでは,近代的形状のプロペラだけを見ると飛びそうな気がするが,機体全体を見ると,どうやっても飛ばなかっただろう。(下の写真)



カール・ヤトー(Karl Jatho)は,ライト兄弟よりも早い1903年8月13日に,4人の公的証人を伴う動力飛行を行ったと言われているが,操縦が可能なフライトではなかったようだ。こちらも飛行中の写真はない。彼は後にハノーファー飛行機製作社(Hannoverschen Flugzeugwerken)を設立し、試作機を発展させた。例えば複葉グライダー・ヤトー2号(der Doppeldecker-Gleiter Jatho 2)を1907年に、そして「鉄の鳩」("Stahltaube")を1911年に作り、同年にヤトーは後者で初めてハノーファー周回飛行をしている



最初に有人動力飛行を行ったのは,アメリカのライト兄弟(三男Wilbur と 四男Orville Wright)のフライヤー号(Wright Flyer = Flyer.I)で,それは1903年12月17日のことであった。飛行成功の3大要因として,「風洞実験での翼型研究」,「必要なパワーが得られるエンジンの開発」,「やがてエルロンへと発展するロール軸を制御する為の『捩れ翼』という発想」が挙げられるだろう。

フライヤーIの飛行記録は,僅かに1分弱で,距離にして250m程度のものだった。カタパルトを使った離陸で,12馬力の水冷直列4気筒エンジンで空虚重量270kg以上の機体を飛ばせている。単発エンジンにチェーンドライブでの双発ペラだ。(上の写真)



1903年に兄ガブリエルと弟シャルルのヴォアザン兄弟(GabrielとCharles・Voisin)とルイ・ブレリオ(Louis Bleriotが共同設立した会社で航空機の開発を始める。 1904年になるとライトフライヤー2号がようやく円形旋回飛行を実現,自力での離陸も記録している。翌1905年には日本陸軍に気球部隊がおかれた。また,この年には国際飛行連盟(FAI)がフランスで設立されている。



ヨーロッパでの初飛行が記録されたのは1906年に入ってからのことだった。ルーマニアのバイア(Traian Vuia)という発明家による牽引式単葉機によるものであった。(上の写真) 記録では高度1mで12mの距離を飛んだとされている。その記録も様相も今なら笑ってしまいそうだが,当時の本人はきっと大いに興奮したことだろうことは想像に難くない。この頃,空を飛ぶことを夢見て,実行に移していた人々は,すべて「奇人・変人」として扱われたことだろうが,やがて歴史が,彼らを「奇人」から「貴人」へと転生させていくことになる。



昔のテレビ番組や映画,お笑いや音楽などを今見直すと,なんとも稚拙で滑稽でバカにしてしまいがちだが,その時代にはそれが先端であり,洗練されていたからこそ現在にも残っている訳で,また,それを土台として現在のすべてがある。科学技術などというのうのはまさにそのものであろう。出現当時の携帯電話もコンピュータもテレビもラジオもアイロンも,今見ると思わず笑ってしまのだが,実は笑える立場に自分は居ないのだということを常に自覚していないといけない。ゼロから1を生み出すということはそういうことなのだから。


写真を多数含む有益関連サイトへのリンク(Wikipedia関連は含まず)

「翼を夢見た男達」(表記:日本語) 1910年以前の飛行機と設計者

”Their Flying Machines”英語とロシア語表記。

”Virtual Aircraft Museum” 全期に渡る各国のメーカー別機体紹介


● 「1900~1905年頃の飛行機」 ● ○○○○○   
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