大戦機の構造
第1次大戦機の構造(概論)


【1】エンジン


最初の実働エンジンは,1816年にロバート・スターリングが発明したスターリング・エンジンとされるが,実働ガスエンジン(4ストローク)の起源はニコラス・オットーが1876年に制作したものとされる。また,ガソリンエンジンを実用化したのは,かの有名なドイツのダイムラーだ。1887年にボッシュがフライホイール・マグネット点火装置を発明,マイバッハが1893年にキャブレターを発明する。自動車好きには耳慣れた名前ばかりだろう。この頃には既に2ストロークやディーゼル・エンジンも発明されており,1890年代には既に実働ガソリンエンジンが存在したことになる。1906年には自動車用,1909年には飛行機用として50馬力程度の実用エンジンが製造されるようになった。


第1次世界大戦中の航空機用エンジンとしては,空冷エンジンは,直列6気筒水冷エンジンやV12気筒空冷・水冷エンジン,更には主に9気筒の1重星型の「ロータリーエンジン」(7気筒や2重星型もあった)などがあった。また,シングルプラグで始まっても,ツインプラグに変更される場合が多く,一部の初期のバージョンを除いて,ロータリーもV6/12もツインプラグのものを多く見掛ける。


ここで言うローターリーエンジンとは,1957年にバンケル博士が発明したオムスビ型のローターがピストン代わりをするいわゆるマツダ方式のローターリーエンジンとは全くの無関係である。この時代のロータリーエンジンは,クランクシャフトが機体に固定され,クランクケースやシリンダーがグルグル回る。プロペラはクランクケースに固定されてエンジン本体と共に回転することになる。このロータリーエンジンは,元々オートバイ用に実用化されたものだった。


現在,ラジコン飛行機やヘリで多く使われるようになっている電子制御のブラシレス・モーターも,プロペラシャフトが機体に固定され,筐体が回転する仕組みになっている。冷却の為には有効だっだが,回転する重いエンジンが発する多大な遠心力や,そこから生じるジャイロ効果の弊害は無視出来るものではなかっただろう。



まず,カム=バルブのプッシュ・ロッドや同心円方向に往復するピストンや潤滑油などがまともに遠心力の影響を受ける訳で,機構的な問題も多かった。強大な遠心力の為,潤滑油は現在のような循環式ではなく,2ストロークのようにガソリンに混合され,排気口から排気と共に外に排出される。潤滑油は,かつてのラジコン用グローエンジンの燃料と同じで,ひまし油が採用さていた。その排気はベタベタ・ドロドロで,特にローターリー・エンジンにより撒き散らされた熱い廃油が時速100km以上で飛んで来るのだからパイロットは大変だったことだろう。


当時の飛行速度はせいぜい時速150km前後なので,カウリング装着の意味は空気抵抗の低減ではなく,オイルの飛散防止にあった。よって,たいていの場合,カウリング下部は切りかかれているか穴が開けられているが,それはカウリング内部に貯まる廃油を落す為であった。


また,ロータリーエンジンの遠心力で生じるジャイロ効果は,機体の挙動に大きな影響を与えていたはずだ。実際,これらのエンジンを搭載した機体には独特の癖があり,ベテランのパイロットでないと乗りこなせなかったという。機体強度があれば,ラムシェバックのようなトリッキーな動きがやり易かったことだろう。

後期のロータリーエンジンでは,パワーアップの為にラジアルを2重にしたものも作られたが,それでなくても回転トルクの影響が大きいエンジンでラジアルを重ねることで増加する重量の影響は致命的だったようで,以降,ロータリータイプのエンジンは姿を消し,固定タイプの星型エンジンや液冷タイプが主流となっていく。従って構造上,ローターリー・エンジンの出力は200hpが限界であった。

その回転トルクを低減すべく考えられたものにジーメンスのハルスケ・エンジンがある。エンジン後部にギアダウンユニットを持ち,プロペラの回転数を半分に下げると共に,エンジンとプロペラの回転方向を逆にしている。が,この工夫も,メカニズムの複雑化や余分な重量増加などのデメリットも多く,発展することはなかった。

また,当時のロータリー・エンジンにはキャブレターというものがなく,スロットルもなかった。つまり,動くか止まるかである。実際には燃料は各シリンダーに供給されたままで,プラグへの通電をオンオフすることで,フルパワー・半分・アイドリング程度の調整は出来たようだ。




液冷のドイツエンジンと言えば,ラップIIIをベースにしたBMW III(185hp)が1917年に開発されていたが,高々度用キャブレターの採用で高度2000m近くでもその出力を維持出来た。


その後まもなく改良型のIIIaが開発された。最大出力は230hp,定格でも200hpの出力が可能となり,無敵のエンジンとなり,名機フォッカーD.VIIFやユンカース社で採用された。しかし1918年11月に終戦を迎える第1次大戦においては,「その登場は遅すぎた」とは,かのエース,エルンスト・ウーデットの言葉だ。終戦後の1919年には,この直列6気筒エンジンを更に発展させたIV型で250hpを記録,到達高度9750mという記録を樹立した。


もうひとつの名門メルセデスのD.IIIaエンジンの出力は180hp,改良型のD.IIIauがようやく200hpという状態だった。しかしながら,大戦の真っ只中に存在したこのエンジンは,性能的には秀越であり,多くに搭載されていた。例えばフォッカーD.VIIの初期型にもこのエンジンが搭載されていたが,その性能差から大戦末期にはBMWに換装されている。ベンツには18.8Lで重さ370kgの大型エンジン,Bz.IV(230hp)というのもあった。



一方,大戦初期,イギリス機に多く採用されていたのはスペインのイスパノ・スイサ(Hispano-Suiz)社のエンジンだ。この会社名は四輪車ファンには耳慣れた名前だろう。


液冷V8 SOHCエンジンは当初150hpと非力で信頼性も低かった。後に200hpにパワーアップされた8Aが登場するが,それでも問題点が多いままだったという。英国ではWolsley社がライセンス製造にあったたが,多くの問題ゆえに,やがてViperに換装されていった。RAF SE5a に採用されていたことで有名だ。


また空冷エンジンでいうと,有名なソッピースキャメルに採用されていたクレルジェ社の星型ローターリーエンジンがある。9気筒130馬力という性能だった。それをベースに,グノーム9N(150hp)やル・ローヌ9J(110hp)などが生産された。



過給エンジンというのも歴史は古く,1905年には,工場や船に使うターボ搭載エンジンが存在していた。また,1917にはフランスのルノーが12Fexエンジンを飛行機用に開発,出力は280hpを叩き出している。また,大戦終了後の1919年にはブレゲーの14A2に搭載され,9200mの高度記録を作っている。    










【2】機体構造


翼は木製のリブとスパーに布張りだったが,胴体の構造には2通りあった。ドイツ機では,鋼管フレームの胴枠に布張り(主翼取り付け部や機種周りは金属プランク)構造がフォッカーで採用されていた,またファルツやアルバトロスでは全木製のモノコック構造の胴体が採用されていた。イギリスやフランスでも,やはり胴体の殆どは鋼管に布張りの構造が採用されていた。


変わったところではドイツのローラントD6の胴体は,ビア樽のようないわゆる甲板張り構造が特徴的だ。よくこんなものに乗って空を飛んだばかりではなく,戦闘を行ったものだと呆れるほどだ。また,鋼管フレームの胴体はねじれに弱く,ワイヤーで胴枠間を補強したが,ワイヤーの張り方は温度変化に対して再調整が必要で,かつ飛行時間によっても再調整が必要になるなど,そのメンテナンスは意外とやっかいなものだったらし。


ユンカースが全金属機を開発するまではこのような構造が複葉機を支えていた。非力な(100~180hp)なエンジンに軽量な機体(空虚で400kg~800kg程度)の機体はまさに「揚力」で空を飛んでいた。その為,木材という低い強度の素材で,より広い面積の翼を確保する為,この時代の飛行は必然的に複葉や三葉になった訳だ。ジュラルミンが航空素材として実用化され,エンジンがより軽量で子出力になるにつれ,飛行機は外観・性能ともに大きく変化をしていく。



翼に関して,イギリスのソッピース社が三葉のトライプレーン(トリプレーン)を開発すると,ドイツでもローラントやアルバトロスやフォッカーがこぞって三葉機の開発に着手した。が,フォッカーDr.I以外は試作で終わるなど,重量と抗力の増加や,強度的に問題から,実用的ではなかった。2次大戦時も現在の民生機器もそうだが,技術にも流行りがある。民族に関わらず考えることが同じせいなのか,それとも人間には真似をする性質があるのかは知らないが,事実を見ると間違いなようだ。


翼で一番重要になるのが翼型だ。一次大戦機では鳥の翼をまねて薄翼が多かったという話も聞くが,実は,より多く揚力を得るには逆カンバーの翼型が有効だ。つまり翼上面はかまぼこ型にふくらみ,下面は同じ形でくぼんでいる訳だ。となると当然厚みが薄くなる。


また,複葉機の場合,上下の翼を流れる空気の干渉があるので,薄翼でないとよろしくない。翼間を広げると取り付け強度に問題が出るのでどうしても薄翼になる。だが,DR.Iでは片持ち式の翼が採用されたが,その為に翼厚は厚翼(こうよく)化され,かつメインスパーにボックス構造を採用することで翼間支柱や張線が必要ない強度を生み出した。この機体には強度上翼間支柱は不要だったようだが,パイロットの不安を生まないようにダミー的に取り付けたとも言われている。






【3】銃火器関係


1次大戦当初,航空機の主な任務は,哨戒・偵察,更にはその任務を行う敵飛行船の撃墜にあった。後にそれを迎撃する空中戦が始まり,やがて爆弾を積んだ爆撃機も登場する。


この頃の戦闘機や偵察機に装備されていた火器と言えば,機関銃が1~3丁程度のものだった。ドイツでは,7.92mmのシュパンダウ機銃(Spandau LMG 08/15)や同じく7.92mmのパラベラム機銃(Parabellum LMG14/17)が装備されていた。ジーメンス社やフォッカー社ではバルカン砲のような多砲身の機銃も試作されていたようだ。一方,イギリス機には7.7mmのルイス機銃(Lewis)や同口径のビッカース機銃(Vickers)が装備されていた。フランスにはホチキス機銃があった。


ここで語り種になっているのが「オウン・ゴール」である。最初は操縦しながらピストルを発砲したり,レンガを相手の機体に向かった投げたなどという「戦闘」が行われていた時代。やがてマシンガンを機体に装備するようになるが,当然,搭乗者が一人の場合には機首に機銃を搭載しないと思ったようには攻撃が出来ない。しかし,その前には自機のプロペラが回っている訳だ。


で,正面から迫ってくる敵機に向けて機銃の引き金を絞ると,敵機に当たる前に自機のプロペラに当たり,自分で自分を撃墜する訳だ。そこで先ず考えられたのが,プロペラ裏面に取り付けるデフレクターだ。最初に考案し取り付けたのがモラン・ソルニエ(人名・機体名)であったらしい。弾道位置に溝のついた鉄板を取り付け,弾き飛ばそうという考えだ。これは原始的だが効果的で十分に実用になった。だが打った弾の1/4はそのデフレクターに当たってあらぬ方向に飛んでいったり,最悪の場合には自機のエンジンに当たったりもしたらしい。ファジーな時代だったのだな。


ドイツ軍が捕獲したこのデフレクター付きのモラン・ソルニエを見たフォッカー(人名・機体名)が,「同調装置」というのが考案したと言われている。エンジン(プロペラ)の回転と引き金の作動を同調させる機械だ。フランスのモランソルニエが最初に完成させたが,完成度の低さや機銃自体の完成度の問題もあって,デフレクターも併用されていた。1915年頃の話だ。


一方,ドイツのフォッカーは,オイルポンプの回転を利用した同調装置を試作,その後,エンジン後部の専用カムを使って機銃の引き金を制御する完璧な同調システムを実用化した。やがてフランスでも同じメカニズムの同調装置がニューポール11に搭載されるようになる。



紅の豚という宮崎映画でも見られるように,当時の機銃は信頼性が低く,弾詰まりや故障が多かったらしい。また,ライズ・オブ・フライト(Rise of Flight)というパソコン用シュミレーターでも体感出来るように,当時の機体は強度が低く,7mm機銃で簡単に木製の桁などは破壊される。それだけでなく運悪く操縦索に被弾すればそれで終わりだ。そうでなくても無理な引き起こしなどにより,翼が分解することも珍しくなく,有名な撃墜エースの最後は,撃墜されるのではなく,空中分解などの事故によるものが多かったようだ。特にアルバトロスは最初から最後まで主翼に強度不足が最大の問題だった。


しかし,丈夫で実践的なフォッカーよりもアルバトロスやロイドやフェニックスに強い魅力を感じるのは,それらの飛行機が,人を殺す武器ではなく,空飛ぶ物体として美しいからに違いない。実用の中にも芸術美をも求めた当時の人々の心に魅力を感じるのかも知れない。